Diary 2007. 10
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10月31日 (水)  愛媛(実家)へ〜7日目〜

朝、9:35松山発、羽田行の飛行機に乗り、羽田で約30分の乗り継ぎ時間の後、
11:30羽田発、中標津行の飛行機で戻ってきた。
今回の旅、色んな体験、貴重な出会いがたくさんあり、本当に有意義だった。
今後の生き方を考える上で、きっとこの旅の経験が生きるんじゃないかなと思う。
これだけインターネットが普及して便利になり、見知らぬ人とやりとりも出来るとはいえ、
やっぱり実際に現地に足を運び、色々と行動を起こす事がいかに大事か、改めて感じた旅だった。

お土産に持って帰ってきた、Fさんから頂いたレモンとライム、
そして岩城島産のレモンケーキ、れもんはーと、レモンジェリー。
ライムは焼酎に入れるととても美味しかったし、レモンケーキもしっとりしていてうまい!
れもんはーとやレモンジェリーは、手作りパン、スコーン等に付けると最高です。
岩城島のレモン製品、かなりお勧め。

いわぎのうまいもん市場
http://www.islands.ne.jp/iwagi/bussan.html
Fさんのブルーレモンファーム
http://www.k2.dion.ne.jp/~lemon-en/
Mさんの無人島開拓日誌
http://blogs.yahoo.co.jp/akahonejima

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10月30日 (火)  愛媛(実家)へ〜6日目〜

昨晩、テントに戻ってから眠れなかったのは、現代日本の抱える問題もかなり大きい。
今、第三次産業に携わる人ばかり増え、物を作るという第一次産業に携わる人が少なくなった。
つまり、生きる事の基本が分からないという人が多くを占めるようになり、
日本の社会でそれがねじれとして存在し、様々な問題となっているように思う。
物を作るというのは全ての基本だ。
生きていく上で、今の人は衣食住全てを外部に頼るようになってしまった。
衣は服飾メーカーに、食は外食産業に、住は建築会社に頼り、
自分で衣類を編み、作物を育て、木を切って家を建てるという基本的な労働を、
今の人たちがやらなくなったから、生きるという事に対して実感が湧かないんだと思う。
そう考えると、お金さえ払えば何でも手に入るというのは良くない事なのかもしれない。
緑を伐採し、土をアスファルトやコンクリートで覆い、まさに地に足がつかなくなった都市部、
そういう生きていけないはずの都会に人が集まるというのは、どう考えても不自然であって、
それに気が付いていないとするなら、とても不幸な事だと思う。
今の日本の農業を取り巻く情勢はとても厳しい。
でもだからと言って不可能であるというわけではなく、百姓を目指す事で何とかなるのではないか。
よく混同されているが、農家と百姓とは同じではない。
百姓とは、百の姓をもつ者という意味であり、色んな顔、色んな技術を持つ者という事である。
生産コストが高い日本において、うまくやっていくには、ただ生産をすればいいわけではなく、
加工して付加価値を付けたり、営業努力をして販売をしていく事は大事なのだろう。
つまり、第一次産業だけに留まらず、第二次産業、第三次産業もこなせる百姓こそ、
これから生き抜いていける農家、という事になるのかもしれない。
Mさんもおっしゃっていたが、百姓の道は険しい。
農業は突き詰めれば突き詰めるほど深いもので、これで良い、極めたという事にはならない。
一生かけて勉強し、経験を積み上げる事で、百姓に近づく事が出来るのだと思う。
農業をやる以上、よりレベルの高い百姓を目指し、頑張り続ける事が大切なのだろう。
土や水に対する感謝をし、家畜へ深く愛情を注ぎつつ、業としての厳しさのバランスを取る。
土地や自然環境に見合った規模の農業をやり、循環型の自給自足的農業をやるならば、
それはそれはイバラの道であり、おそらく苦労は並大抵ではないだろう。
でもそれを頭のどこかに置いておかないと、きっと農業に対する魅力が失われるような気がする。
自分自身が農業に携わる機会があるのであれば、大事にしたい考え方だと思い、朝を迎えた。

さて、小さな港の美しい朝焼けをしばし眺めた後、島内を散歩に出かけた(写真1枚目)。
まずは南西へと海沿いに歩き、岩城島の最南端を周り、西海岸を歩いていると綺麗な砂浜があった。
今度来る際は、ここで野営も良さそうだ。
そのまま今度は積善山という岩城島にそびえる山の方へと歩を進め、祥雲寺へ。
そこから山の裾野に沿って高台を歩き(写真2枚目)、8kmほど歩いて岩城港へと戻ってきた。
テントまで戻ってくると、テントの中におにぎりや卵焼き、漬物などの差し入れがあった。
これは多分Mさんが入れてくれたんだろうと思い、電話してみるとやっぱりそう。
わざわざ朝御飯まで差し入れてくださり、本当に感謝の気持ちでいっぱいだった。
すぐに寝袋などを片付け、テントを撤収して、バックパックを背負い、岩城港へ。
9:00前にリモーネプラザという岩城港のターミナルに着き、
レモンを使ったバターのような「れもんはーと」、
青いレモンの皮がたっぷり入った「レモンジェリー」、
「はれひめ」という品種のみかんを使った「はれひめマーマレード」をお土産に買い、
9:35の快速船に乗るため、桟橋へ。
外に出てみるとなんとそこにはMさんの姿があった。
わざわざお見送りをして下さり、本当にありがとうございました。
岩城島は素敵な出会いがたくさんある、素朴で美しい青いレモンの島、
またいつか再訪しようと心に決め、岩城島を去った。

岩城島を去った快速船は、約1時間後、今治港へと入港。
今治駅まで歩く途中、今治城に寄ってみた(写真3枚目)。
1604年、藤堂高虎によって築かれた伊予半国20万3000石の大守で、
城域は8町16間四方、三重の堀には海水を導入した海岸平城という立派な城だ。
城内を一通り歩いた後、今治駅へ。
今治から列車で三津へ戻り、一旦実家に寄ってバックパックを下ろして再出発、
再び道後温泉を訪れ、旅の疲れ、汗を洗い流し、
夜は、以前何十年ぶりに再会したToshieさんに食事に連れて行ってもらった。
場所は三津の川沿いにあるタイ料理店「フォーシーズン」。
実家の近くにこんな店があったのかと驚いたけど、久々に美味しいタイ料理を頂きました。
Toshieさん、ごちそうさまでした。
次は是非北海道でお会いしましょう!

帰宅後はバタンキュー。
かなり疲れていたのか、前夜の寝不足が祟ったのか、ほとんど記憶が無い・・・。

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10月29日 (月)  愛媛(実家)へ〜5日目〜

今回の旅のもう一つの目的、それは岩城島のレモン農家さんを訪れる事だった。
伯方島の東、愛媛県越智郡上島町に属する岩城島は、青いレモンの島として有名だ。
仕事を辞め、将来どうしようかと考えると、どうしても農家になりたいと思ってしまう。
奥尻島での葡萄栽培ももちろんだけど、この岩城島の柑橘栽培にも興味があり、
インターネットで辿り着いたブルーレモンファームのFさんにコンタクトを取っていたのだ。
みかんの栽培は子供の頃から身近ではあったけど、実際にどうやっているのかは知らなかったし、
国内でレモンが栽培されている事すら、あまり認識した事もなかった。

朝、テントをたたみ、出発の準備をする。
再びバックパックを背負い、昨日歩いてきた道を再び戻り、伯方島へ。
伯方島の木浦港まで約8kmを気持ち良く歩いた。
途中、鶏小島キャンプ場からは村上水軍の本拠地である能島が見えたり、
伯方島と鵜島の間の狭い海峡である、船折瀬戸を眺める高台からの景色はまさに絶景だった。
この船折瀬戸、その潮流の速さは船を折るほどといわれ、時速20km/h近いスピードがあるそう。
高台からも潮の流れがはっきりと分かり、まるで急流の川のように潮が流れていた。
昔はこの潮流に逆らって航行することは出来ず、
潮待ちの場所があって、潮の流れが変わるのを待って航行していたそうだが、
村上水軍や河野水軍がこの海域を牛耳って、瀬戸内を支配下においたのも、
この潮流を読み、たくさんの島がある複雑な海域を熟知していたからに他ならない。
テクテクと歩いていると、自転車で登校中の学生さん達が「おはようございます!」と挨拶してくれる。
やっぱり田舎、島に行くと、見知らぬ人でも挨拶をかわすのが当たり前になり、
純粋で無垢な、そして真っ黒に日焼けして元気いっぱいの子供達を見ていると、
こっちまで元気を分けてもらっているような気分になるものだ。
朝7時に見近島を出発して、ほぼ予定通り、9時に木浦港に到着。
今治〜大島〜伯方島〜岩城島〜佐島〜弓削島と快速線が1日に10本近く往復しているとともに、
伯方島〜岩城島〜佐島〜弓削島の区間のみ、「第五愛媛」というフェリーが数便運行している。
本当はこの第五愛媛に乗ってみたかった。
緑色で、なにやら全体が格子状のような独特のフェリーであり、
しまなみ海道が開通した事で、今治〜伯方島は運行しなくなったとなれば、
波方島から岩城島へ渡るには、このフェリーに乗ってみたいと思うのもごく自然?!
ただ、フェリーは10:00発であり、その前に9:35発の快速船があった事から、
時間を有効に使うために、泣く泣く快速船に乗るという方法を取る事にした。

ブルーレモンファームのFさんに到着時間を伝え、いざ岩城島へ。
岩城島の桟橋に到着すると、そこには笑顔のFさんが待っていてくれた。
Fさんは元々京都のサラリーマンで、34歳の時に岩城島へ移住し、レモン農家となられた方だ。
7反の山(畑)で、レモン、みかん、サンチュなどを育てている(写真1枚目)。
実際に畑を見せてもらい、どういうやり方をしているのか、
そして農業への考え方などをお伺いする事が出来た。
北海道の農業と違い、規模は小さいけれど、
その分、手間隙をかけ、機械化や合理化はあまりされず、目の届く範囲で農業をやっている。
ただ、農業は趣味ではなく、生活していかねばならないため、
出来る範囲での効率化、そして何より営業努力はすごくされている印象を受けた。
農協に頼らず、自分で販路を切り拓くのは大変な事だろうけど、
やっぱり消費者の反応を見ながら営農するのは、大事な事なのかもと感じた。
そうそう、なぜ青いレモンなのか不思議だったけど、
レモンが黄色くなるには寒くならなければいけないらしく、
まだ暖かい時期に採れるレモンは完熟していても青いのだそうだ。
お土産に収穫したレモンやライムを下さり、「よし正」で昼食までご馳走になってしまった。
本当にありがとうございました。
そしてここでもう一つ大きな出会いが。
Fさんの紹介で、赤穂根学舎という取り組みをなさっているMさんとお会いした。
MさんはFさんとまた違った考え方で農業を考えている方で、
岩城島のすぐ近くにある赤穂根島という無人島で、自給自足の循環型農業を実践されている。
岩城港からMさんの所有する小さな船に乗せてもらい、いざ赤穂根島へ(写真2枚目)。
無人島に行ける機会などそうそうないので、これはまさにワクワクドキドキといったところか。
赤穂根島に到着すると、そこにはナンバーのない軽トラと、古いコンクリートの道、
そしてジャングルのようになっている鬱蒼とした島の緑が飛び込んできた。
その軽トラに乗せてもらい、まずは和牛を飼われている場所へ。
その和牛のいる風景を見て驚愕した(写真3枚目)。
我家のユウと同じように、ロープを張って自由に動けるようにし、和牛に雑草を食べてもらっているのだ。
こうする事で道路の維持管理をするとともに、嫌というほど茂っている雑草資源の有効活用だろう。
米も栽培していて、冬はその稲ワラを与えているため、餌代はゼロ円だそうな。
とても可愛がっているらしく、人懐っこい和牛達だった。
和牛、みかん畑と、その向こうに海、そして島が見える風景は絶景。
また島内を軽トラで移動し、今度は家へ。
定住しているわけではないけど、生活できる家と、手作りのゲストハウスがあった。
また、媛っこ地鶏という愛媛の鶏をたくさん飼われていて、
この地鶏の肉は、比内鶏や名古屋コーチンなんかと比べ物にならないくらい美味しいのだそう。
鶏を飼う環境は我家と似ているけど、もっと自由で快適そうだった。
赤穂根島は地権者が200名以上いるそうで、その多くは幽霊地主。
自分の土地を見たこともない人がほとんどらしく、
借りるにしろ、売ってもらうにしろ、大変なのだそうだ。
なので、無人島とはいえ、島全体を利用する事が出来ないらしい。
都会に住む幽霊地主は、土地を利用してもらう方が荒れないという事を理解してはくれず、
売るにしても馬鹿みたいな法外な値段を吹っかけてくるそうで、
地主なら権利を主張するだけじゃなく、
土地の維持管理という義務を果たして欲しいとおっしゃっていたが、本当にそのとおりだと思った。
赤穂根島を後にし、岩城島の果樹試験場に連れて行ってもらい、
その後、野営しやすそうな公園で降ろしてもらってMさんとお別れした。
早速テントを張り、夕焼けの美しい岩城港や島々を眺めていると、再びMさんがやってきて、
なんと晩飯を一緒に食べようと誘ってくれた。
Mさんの奥さんと共に、昼にも言った「よし正」へ。
たくさんのお酒と食事をご馳走になり、すっかりお世話になってしまった。
Mさんは日本の農業の行く末を心配しており、
農協が農業をダメにしていると強くおっしゃっていた。
確かに、特定の分野にのみ力を入れ、大規模化と効率化を進め、
小規模農家や自給自足的農家を相手にしない農協のやり方は、間違っているのかもしれない。
私自身、農協のあり方に疑問を抱くところも多く、
そういう組織の職員であり続ける事は出来ないという思いもあって退職を決意したわけだし、
本当にこれからの人達に魅力ある農業というものを伝えようとしているのか、
そしてそういう農業の担い手を探そうと努力しているのかいつも疑問に思う。
学校教育において、自分が将来農家になりたいと思えるような教育をしているのか。
実際のところ、その選択肢すら与えられていないのが実態だろう。
自分自身、農家になりたいとは思えど、農協のひいたレールには乗りたくは無い。
日本の食料自給率が40%を切るという事態がどれほど深刻か、危機感を政府から感じられない。
海外に食糧供給を頼るという事は、独立国として日本が存在できない事を意味する。
食糧供給を盾に、属国のような形でしか存在出来なくなるのはとても残念だし、日本滅亡を意味する。
農業の基本は自給自足であり、その余剰を売って利益にするのはまさに理想だと思う。
残飯や雑草を家畜の飼料にし、家畜の糞尿を堆肥化して畑に還元する。
無駄のない農業、環境に配慮した循環型農業をする事を、もう少し考えた方が良いのではないか。
機械化し、大規模化しても、結局は海外の規模には及ばないし、
農業の基本である土地や水を汚してまで、集約的農業をする事は本来ありえないのだ。
農業は自然の恵みを糧にしているわけで、その自然への感謝と還元なくして成り立たないと思う。
それを考えれば、やはり無農薬有機農業へと行き着いてしまうわけで、
自分の手の届く範疇で、自分なりのこだわりを生かした農業が魅力的であり、
そのこだわりを殺してしまう農協のやり方には、やっぱり反対する人も多いのだろう。
今回、FさんとMさんに出会い、
農業を「農」と「業」に分けて、改めて考える事が出来たように思う。
テントに戻ってからもずっと考えてしまい、眠る事が出来ず、ついに徹夜してしまったのだった・・・。

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10月28日 (日)  愛媛(実家)へ〜4日目〜

今年の春に我家に来られた西条のKSさんにお世話になった。
弟の結婚披露宴でもらった2枚のタクシーチケット、つまり1万円分があったので、
JRでしまなみ方面へ行こうと思ってたのを考え直し、
タクシーの運転手と交渉して、1万1千円で西条まで行ってもらえる事になったのだ。
松山から西条へタクシーで移動してきたと言うと、とても驚かれた(笑)。
西条市は、西日本一高い愛媛の石鎚山の伏流水が至るところで湧いていて、
「うちぬき」と呼ばれる綺麗な水は、市民に広く利用されているようだ。
KSさんの車に乗せて頂き、西条を後にしていざしまなみへ。
今治に入り、糸山公園からしまなみ海道を一望(写真1枚目)した後、実際に走り、まず大島へ。
大島の「よしうみバラ園」を観て、バラのアイスクリームを食べて、再びしまなみ海道、
伯方島を通り過ぎ、大三島で海道から降りて、有名な大山祇神社へ(写真2枚目)。
この大三島までが愛媛県で、ここを過ぎると広島県に入る事になる。
大山祇神社は、大山積神を祭神とし、全国の山祇神社、三島神社の総本社。
国宝8件、国の重要文化財75件を有し、天然記念物「大山祇神社のクスノキ群」がある。
皇室からも厚く信奉されており、境内には昭和天皇の研究を展示した海事博物館が併設されている。
山の神、海の神、戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた神社で、
源氏、平家をはじめ多くの武将が武具を奉納し、武運長久を祈ったため、
国宝、重要文化財の指定をうけた日本の武具の約8割がこの神社に集まっているそうだ。
戦国時代には没落していたが、
かつて源家、北条家と並び、日本で有数の勢力を誇った伊予(愛媛)の河野家、
源平合戦や元寇の際に活躍した河野道信や河野道有を始め、
源義経に武蔵坊弁慶、源頼朝、木曽義仲に巴御前、平重盛、鶴姫といった、
歴史に名を馳せた名将の刀や鎧兜がたくさんあり、貴重な武具を見る事が出来た。
一通り見学した後、近くの食堂で鯛めしとうどんのセットを食べたが、やっぱりうまかった。
KSさんには伯方島の道の駅まで送ってもらい、そこでお別れ。
色々とありがとうございました。
伯方島の道の駅からはバックパックを背負い、しまなみ海道へ歩いて向かう。
しまなみ海道は車道と原付・自転車・歩道が別々になっていて、
自動車なら数千円のところ、徒歩なら無料だし、原付や自転車でも数十円で済むのだ。
伯方島と大島の間に、見近島という無人島があり、そこでキャンプできるようになっている。
ただ、見近島へ降りるには車では下りる手段が無く、徒歩か、自転車・原付だけの特権なのだ。
そこまで2kmほど歩き、見近島に下りてみると別世界だった。
なにせ車を使う人は来れないのだから、橋が繋がっているにも関わらず、静かで魅力的な場所なのだ。
すぐにテントを張り、野営の準備は完了(写真3枚目)。
私が見近島へ下りた時、数名の方が思い思いに過ごされていたけど、
その中の1人、大西町のIさんという方と友達になり、メールのやりとりをするようになった。
Iさんも今年初めて見近島の存在を知るようになり、月に2回は週末やってきて過ごしているのだそう。
ただ、今日野営するのは私だけのようで、
Iさんが島を離れる時、来年、見近島で再会しましょうとお別れした。
夕方、独りぼっちになった見近島で、美しい夕暮れの景色をぼんやりと眺め、
辺りが真っ暗になる頃にはテントに入り、すぐに眠ってしまったのだった。
もう少し早く見近島に到着していれば間違いなく泳いだであろう美しいビーチがあり、
気温も真夏の根室くらいなので、それだけは残念だった。
来年も見近島に来て、泳いで野営したいなぁと強く思ったのだった。

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10月27日 (土)  愛媛(実家)へ〜3日目〜

いよいよ弟の結婚式。
会費制ではない道外の結婚式に出席するのは初めてだったけど、
基本的に内容はあまり変わったものではなかった(当たり前か)。
弟夫婦は愛車の黄色のスープラで登場し、スープラで去るというものだが、
馬に乗って登場し、馬に乗って去る方が様になるような気がするな(笑)。
友人からのお祝いの言葉を微笑ましい気持ちで聞いていると、
司会者が「では最後にお兄様よりお言葉を・・・」と振るではないか!
「おいっ、聞いてないぞ」と心の中で突っ込みつつ、
全く予想もしていなかった事で完全に舞い上がり、何を喋ったのかあまり記憶に無い。
緊張のあまりマイクを持つ手が震えて仕方が無かった。
いやはや共進会や講習会の司会や進行はしばしば仕事でやるけれど、
そういうのとは全く違って、頭の中で言葉を整理するのにとても苦労した。
でもまあ、弟は我が道を突っ走り、夢を形にしようとしているらしく、
いつの間にそんな風になったのか、兄弟血を争えないなぁと思ったものだった。
結婚をして、夢の実現と家庭円満を両立させるのは大変だろうけど、頑張ってほしい。
結婚は本当に難しいもので、お互いに感謝の気持ちを忘れてしまっては愛が冷める。
外に出てお金を稼ぐにしろ、家にいて家事をするにしろ、どちらも大切な仕事であり、
お互いの存在を認め、いつもありがとうの気持ちを伝える事を忘れないで欲しいなぁと思う。
沢山の良き友人、仲間に恵まれている限り、前途は必ず明るいはず。
不思議なもので、自分の結婚式なんかより遥かに感慨深いものがあった。
結婚、本当におめでとう。

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10月26日 (金)  愛媛(実家)へ〜2日目〜

朝、祖母のいる老人ホームを訪れ、久々にお話をした後、徒歩で松山市駅へ。
愛媛県は歴史ある私鉄「伊予鉄道」と、JRとが混在していて、
松山市駅は伊予鉄の駅、松山駅がJRの駅と分かりづらい名称となっている。
ちなみに、坊ちゃん列車の走る市街地の路面電車はもちろん伊予鉄の電車、
伊予鉄自体は1888年開業で四国初、日本でも4番目(純民間資本では3番目)となる歴史ある電鉄会社だ。
伊予鉄は路面電車のほかに、郊外に延びる路線もいくつか持っていて、
いままでの人生において南に向かう郡中線に乗ったことがなかった。
今日は歴史ある町並みが美しい内子に行こうと思い、あえて伊予鉄郡中線で終点である郡中港駅まで行き、
そこからすぐ側のJR伊予市駅へ歩いていって、そこからJRで内子を目指すというルートを取ってみた。
乗り継ぎの待ち時間が1時間以上あったので、郡中港周辺をぷらぷらと散歩してみると、
港町ならではの雰囲気と綺麗なビーチがあり、なかなか楽しかった。
伊予市駅に戻り、ちょうどお昼くらいの列車に乗っていよいよ内子へ到着。
内子町は南予に属する町で、ハゼの流通で財をなした商家が建ち並ぶ町並みが美しく、
それらの歴史的町並み保存を手かがりに、白壁と木蝋のまちづくりを進めてきた魅力的な町だ。
内子といえば「八日市・護国の町並み」であり、そこを歩いているとタイムスリップしたかのよう。
まずは1916年に大正天皇の即位を祝い、内子町の有志によって建設された歌舞伎劇場である「内子座」。
一時建物老朽化により取り壊されようとしていたが、
町づくりの核として活用すべきという町民の声で存続した建物で、
修復され、今でも歌舞伎のほか、各種公演や会合に活用されているらしい(写真1枚目)。
こういう歴史、文化を伝える建物が保存されるだけじゃなく、
今も昔と同じように歌舞伎が演じられ、その文化を継承している事は本当に素晴らしい。
内子座を後にして、商いと暮らし博物館や上芳我邸などを覘きながら、のんびりと歩く。
和蝋燭や竹細工、地元の農産物などを、軒先で無造作に売っているのもまた風情があって良い(写真2枚目)。
3時間くらいかけてグルッと内子を歩き、再び内子駅から松山駅に戻って、路面電車に乗り換え道後へ。
ゆっくりと道後温泉で疲れを取って実家へ戻った。
夕食にはみんなで回転寿司へ。
寿司ネタはもちろん北海道とはまったく違うのが面白い。
個人的にはカンパチの握りが大好きだ。

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10月25日 (木)  愛媛(実家)へ〜1日目〜

弟が結婚する事になり、披露宴に出席するために実家に帰省する事になった。
今年は初夏にカナダからの帰りに帰省したが、年に2回も帰省するのは初めてだなぁ。
ついでにまだまだたくさん溜まっていて消化できていない有給を使う。
今回は、柑橘農家に興味があって打診した結果、快く受け入れて下さる岩城島のレモン農家さんを訪れる予定だし、
瀬戸内海に浮かぶ愛媛の島々を、しまなみ海道と船で、歩きながら野営して周るつもりだ。

昼過ぎ、中標津空港から飛行機に乗り、羽田を経由して愛媛松山空港へ。
空港に着いたのは18:45くらいだった。
実家の家族が迎えに来てくれ、みんなで夕食に焼肉を食べに行き、そして家へ。
今回は超割で飛行機の切符が取れたので、夜行バスで札幌に出たりして経費を抑えることなく、
直接中標津から飛行機だけで松山にやってきたのでとても楽だった。


10月24日 (水)  奥尻島再訪の写真〜その13〜

写真はいずれも東風泊。
写真1枚目、太陽が沈み、月光に周囲が照らされ美しい。
写真2枚目は北海道本土から上ってくる朝日。
写真3枚目、船に乗るため、キャンプを撤収して歩き始める。

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10月23日 (火)  奥尻島再訪の写真〜その12〜

写真はいずれも東風泊にある居酒屋「華」。
写真1枚目は外観、2枚目は内部、3枚目は料理。

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10月22日 (月)  奥尻島再訪の写真〜その11〜

写真はいずれも奥尻島北西部。
写真1枚目は海から離れ、牧場地帯を抜け、山に差し掛かったあたり。
写真2枚目は玉島山山頂へと続く階段。
写真3枚目は玉島山山頂。

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